「最低賃金が上がるらしい」
このニュースを見て、「自分は正社員だから関係ない」と読み飛ばした40代会社員も多いのではないだろうか。
確かに、月給制で年収500万円、600万円と稼いでいる会社員が、明日から最低賃金で働くわけではない。しかし、2026年度の最低賃金引き上げは、アルバイトやパートだけのニュースとして片づけるには少し大きい。
厚生労働省が9月3日に公表した各都道府県の答申では、地域別最低賃金の全国加重平均は時給1177円。前年度の1121円から56円上がり、現在の目安制度が始まった1978年度以降で2番目に大きな引き上げとなった。各地では異議申出などの手続きを経て、10月1日から12月2日にかけて順次発効する予定だ。(厚生労働省)
東京は1280円、神奈川は1279円、大阪は1231円。最も低い宮崎でも1085円となる答申だ。(厚生労働省)
問題は、この数字が「最低賃金で働く人の給料」だけを意味するのかということだ。
最低ラインが上がれば、その少し上で働いている人の賃金との距離も縮まる。企業は人件費、採用、配置、生産性を考え直す。そして、その変化はやがて正社員にも及ぶ。
40代会社員にとって今回のニュースは、「アルバイトの時給が56円上がった」という話ではない。
自分の給料は、本当に仕事の価値に見合っているのか。
そこを考えるニュースなのである。
最低賃金1177円は、どれくらいの水準なのか
まず数字を会社員の感覚に置き換えてみよう。
仮に時給1177円で1日8時間、月20日働くとする。単純計算では月18万8320円、年間では約226万円になる。
もちろん、これは賞与や残業代などを考慮していない単純計算だ。また最低賃金は都道府県によって違うため、全国どこでも1177円になるわけではない。
それでも、最低賃金の「床」がかなり持ち上がってきたことは分かる。
しかも今回、47都道府県すべてで54~65円の引き上げが答申された。全国加重平均1177円は前年から56円増。厚生労働省も、秋以降の賃金の底上げにつながるとの認識を示している。(厚生労働省)
では、正社員には何が起きるのか。
ここからが40代にとって重要になる。
「最低賃金が上がる=自分の給料も上がる」ではない
最初に期待しすぎないようにしておきたい。
最低賃金が56円上がったからといって、すべての会社員の給料が自動的に上がるわけではない。
最低賃金制度が直接守るのは、最低賃金を下回る賃金で働かせないためのラインだ。すでにそれを大きく上回る給与を受け取っている正社員について、「最低賃金が上がったから月給も同じ割合で上げなければならない」という制度ではない。
だから、
「最低賃金が約5%上がった。俺の給料も5%上がるはずだ」
とはならない。
しかし、だから無関係なのかというと、それも違う。
企業の中には給与の階段がある。
パート。
アルバイト。
契約社員。
若手正社員。
一般社員。
主任。
係長。
課長。
会社によって呼び方は違うが、賃金にはある程度の序列が作られている。
その一番下が大きく上がれば、上との距離が縮まる。
そこで企業は次の問題に直面する。
「責任が重い人の給与との差を、このままにしていいのか」
という問題だ。
40代に起きる「賃金の圧縮」という問題
例えば、ある職場で新人とベテランの賃金差が大きかったとする。
長く働き、仕事を覚え、責任を負うことで給料が上がる。これなら「経験を積む意味」が分かりやすい。
ところが下の賃金だけが大きく上昇すると、その差が小さくなる。
これを一般に「賃金圧縮」と呼ぶことがある。
最低賃金に近い層の待遇改善そのものは歓迎すべきことだ。しかし企業側が給与体系全体を調整しなければ、中堅社員から見ると、
「新人との給料差がこれだけ?」
「責任だけ増えているのでは?」
という不満が生まれやすくなる。
特に40代は、この問題の当事者になりやすい。
部下がいる。
教育する。
トラブル対応をする。
顧客に謝る。
会議に出る。
数字の責任を負う。
それなのに若手や非正規雇用との賃金差が縮小すれば、「管理職になる意味」「長く働く意味」を考える人が出ても不思議ではない。
最低賃金上昇は、単なる低賃金層の待遇改善ではなく、企業に給与体系そのものの説明力を求める動きにもなり得る。
時給に直すと、自分の給料はいくらなのか
ここで40代会社員に一度やってほしいことがある。
自分の給料を時給感覚で考えてみることだ。
例えば月給40万円。
数字だけ見ると、最低賃金とはかなり離れている。
ただし、
残業。
休日対応。
持ち帰り仕事。
通勤。
管理職としての時間外対応。
こうした時間まで含めて考えると、仕事に拘束されている時間はかなり長い人もいる。
もちろん給与を単純な時給だけで評価することはできない。賞与、退職金、福利厚生、雇用の安定、社会保険、将来の昇給なども含めて考える必要がある。
それでも、
「自分はどれくらいの時間を会社へ渡し、その対価としていくら受け取っているのか」
を考える意味はある。
年収600万円だから安心。
課長だから安心。
大企業だから安心。
そうではなく、自分の時間と責任に対して報酬がどうなっているのかを見る。
最低賃金が上がる時代だからこそ、正社員側にもこの視点が必要になる。
最低賃金上昇で企業が苦しくなる側面もある
賃金が上がる。
働く側にとっては良いニュースだ。
しかし企業側から見れば、人件費が増える。
特に影響が大きいのは、多くの人を雇う業種や中小企業だ。
厚生労働省も今回の最低賃金引き上げを受け、中小企業・小規模事業者への支援として業務改善助成金などを進め、生産性向上や価格転嫁を支援する方針を示している。(厚生労働省)
ここを40代会社員は見落とさない方がいい。
会社の人件費が増えたとき、経営側にはいくつかの選択肢がある。
商品やサービスの価格を上げる。
生産性を上げる。
業務を減らす。
人員配置を変える。
採用を抑える。
設備へ投資する。
仕事を自動化する。
つまり、
賃金上昇と省人化は、同時に進む可能性がある。
「最低賃金が上がる=働く人全員が豊かになる」という単純な話ではない。
企業は上がった人件費をどこかで吸収しなければならないからだ。
「人を増やす」より「今いる人で回す」が強くなる可能性
人件費が高くなれば、企業は採用を慎重にする。
10人でやっていた仕事を10人のまま続けるのか。
9人でできないか。
8人でできないか。
外注できないか。
システム化できないか。
こう考えるのは経営として自然だ。
そこで影響を受けるのは、最低賃金で働く人だけではない。
40代の正社員にも、
「この業務、本当に必要?」
「この会議、必要?」
「この管理職ポスト、必要?」
「もっと少人数で回せない?」
という問いが向かってくる。
これまで人海戦術で処理してきた会社ほど、賃金上昇をきっかけに業務効率化へ動く可能性がある。
だから40代は、
「自分は最低賃金よりずっと高いから大丈夫」
ではなく、
自分の仕事は、人件費が上がっても会社がお金を払いたい仕事なのか
と考えた方がいい。
少し厳しい問いだが、これから重要になる。
「長く働いている」だけでは給与差を説明しにくくなる
日本企業では長く、勤続年数や年齢が給与に影響してきた。
20代より30代。
30代より40代。
経験を積めば給与も上がる。
しかし、人件費全体が上昇していくと、企業は一人ひとりの給与について以前より厳しく考えるようになる可能性がある。
なぜこの人に500万円払うのか。
なぜ600万円なのか。
なぜ管理職手当を払うのか。
そこで、
「20年勤務しています」
だけでは説明が弱くなる。
必要なのは、
売上を作る。
コストを下げる。
人を育てる。
顧客を維持する。
業務を改善する。
専門知識を持つ。
難しい問題を解決する。
こうした会社が理解しやすい価値だ。
40代からは、「勤続年数」ではなく「何を生み出しているか」を自分でも説明できるようにしておきたい。
最低賃金上昇は「転職先を見る物差し」も変える
転職を考えている40代にも影響がある。
求人票を見るとき、年収だけを見る人は多い。
500万円。
600万円。
700万円。
しかし、これからは給与水準だけではなく、
仕事量。
責任。
労働時間。
休日。
通勤。
福利厚生。
昇給。
そして会社の生産性。
ここまで見る必要がある。
なぜなら、人件費が上昇する時代に利益を生み出せない会社は、どこかで無理が出やすいからだ。
人を減らす。
昇給を止める。
仕事量を増やす。
賞与を減らす。
値上げできず利益が減る。
こうした形で調整する企業もあり得る。
逆に、生産性を上げ、適切に価格転嫁し、社員へ還元できる会社なら、賃金上昇局面でも比較的強い。
40代の転職では、
「今いくらもらえるか」だけではなく「この会社は今後も給料を払える会社なのか」
を見る必要がある。
配偶者がパートなら、さらに重要なニュースになる
40代世帯では、本人が正社員で配偶者がパートというケースも多い。
その場合、最低賃金引き上げは家計へ直接影響する。
同じ時間働いても収入が増える。
一見すると単純に良い話だ。
しかし、ここには社会保険との関係がある。
いわゆる「106万円の壁」だ。
現在、一定規模以上の企業などで週20時間以上働き、所定内賃金が月額8万8000円以上などの要件を満たす短時間労働者は、健康保険・厚生年金の加入対象となる。最低賃金の上昇によって、同じ労働時間でもこの賃金要件へ届きやすくなる。(厚生労働省)
さらに重要なのが、2026年10月にこの月額8万8000円という賃金要件、いわゆる「106万円の壁」が撤廃予定となっていることだ。企業規模要件についても今後段階的に縮小・撤廃される。(厚生労働省)
つまり、
「時給が上がったから、働く時間を減らして扶養内に収めよう」
という従来型の働き方そのものを考え直す時期に来ている。
これは40代の家計にとってかなり大きい。
「扶養内に抑える」だけが正解とは限らなくなる
社会保険へ加入すると、保険料負担が発生するため、一時的に手取りが減ることがある。
だから、
「壁を超えないように働こう」
と考える家庭は多かった。
しかし、社会保険に加入すれば厚生年金の対象となり、将来受け取る年金にも反映される。健康保険の給付にも違いがある。
さらに制度自体が「壁を意識して働く時間を抑える」状態から変わろうとしている。厚労省も、短時間労働者が年収の壁を意識せず働ける環境づくりを進めている。(厚生労働省)
だから40代夫婦は、
「扶養から外れると損」
という昔のイメージだけで判断しない方がいい。
現在の時給。
週の労働時間。
年間収入。
社会保険料。
将来の年金。
本人が何歳まで働く予定なのか。
これらをまとめて考える。
最低賃金1177円時代は、家計の働き方まで変える可能性がある。
地方ほど「最低賃金上昇」の意味が大きくなる可能性
今回の改定でもう一つ注目したいのが地域差だ。
東京の答申額は1280円。
宮崎は1085円。
まだ差はある。
一方で、最高額に対する最低額の比率は84.8%となり、前年の83.4%から改善。厚生労働省によれば、この比率は12年連続で改善している。(厚生労働省)
つまり、最低賃金の地域差は少しずつ縮まっている。
これは地方で働く人にとって重要だ。
地方では、
「東京より生活費が安いから給料も安くて当然」
という考え方が長くあった。
もちろん住居費などには大きな地域差がある。
しかし、ネット通販、通信費、全国チェーンの商品、エネルギーなど、全国で大きく変わらない支出も多い。
賃金差が縮まれば、
地方企業にも「この給与で人を採れるのか」という問題が強くなる。
人材獲得競争という意味でも、最低賃金の上昇は地方の40代会社員に無関係ではない。
40代は「給料を上げてください」だけでは弱い
では、会社員はどうすればいいのか。
最低賃金が上がったから、
「自分の給料も上げてくれ」
と言うだけでは弱い。
それより、
自分の仕事を数字や成果で説明できるようにする。
例えば、
年間いくら売ったか。
何件の顧客を維持したか。
何時間の業務を削減したか。
何人を育成したか。
どんなトラブルを防いだか。
どんなコストを削減したか。
全部を数字にできなくてもいい。
「自分が会社に何を提供しているか」を言語化する。
これは社内評価だけではなく、転職するときにも使える。
最低賃金が上昇して給与体系全体が動く時代ほど、
自分の値段を会社だけに決めさせない準備
が重要になる。
一度、自分の「市場価格」を確認してみる
今すぐ転職する必要はない。
それでも求人を見る価値はある。
自分と同じ職種。
同じ年代。
同程度の経験。
どのくらいの給与で募集されているか。
どんな能力を求めているか。
どんな資格が評価されているか。
これを見る。
もし現在の給与が市場よりかなり高ければ、今の会社にいるメリットが分かる。
逆に市場より低ければ、
「自分はもっと評価される可能性がある」
と分かる。
どちらでも収穫だ。
40代になると、転職市場を見ること自体を怖がる人がいる。
しかし転職サイトを見るだけなら、会社を辞める必要はない。
転職活動は、会社を辞める決意ではなく、自分の市場価格を確認する健康診断としても使える。
最低賃金が上がる今こそ、一度確認しておいて損はない。
賃金が上がる時代に「安く働く人」にならない
日本では長い間、
給料はそれほど上がらない。
物価もそれほど上がらない。
そんな感覚が続いてきた。
その中では、
同じ会社で同じように働き続けることにも一定の合理性があった。
しかし、最低賃金の全国加重平均が1177円となり、前年から56円上がる。
企業側も、人件費上昇を前提に経営を考えるようになる。
そうなると、
「昔からこの給与だから」
という理由だけで働き続けるのは危険だ。
会社が給与を上げてくれるのを待つだけではなく、
自分の仕事の価値。
市場での給与。
今後必要になる能力。
家計に必要な収入。
これらを自分でも確認する。
40代は、会社から値段を付けてもらうだけの年代ではない。
自分の労働にいくらの価値があるのか、自分でも考える年代だ。
最後に――1177円は「他人の時給」のニュースではない
最低賃金1177円。
ニュースだけ見れば、
「パートやアルバイトの待遇が改善される」
という話に見える。
もちろん、それは重要な意味だ。
しかし40代会社員には、その先を見てほしい。
最低ラインが上がる。
企業の人件費が増える。
給与体系の差が縮まる。
採用のコストが上がる。
省人化や業務効率化が進む。
企業は、「誰に、いくら払うのか」を今まで以上に考える。
そのとき、
勤続20年だから。
課長だから。
昔からこの仕事をしているから。
それだけで今の給与が保証されるとは限らない。
だから最低賃金のニュースを見るたびに、
「自分には関係ない」
と閉じない。
一度、自分の仕事を見る。
自分は何を生み出しているのか。
今の会社以外でも通用するのか。
同じ仕事なら市場ではいくらなのか。
今の給与は高いのか、安いのか。
そして、5年後も会社がお金を払いたいと思う仕事をしているか。
最低賃金1177円という数字は、40代に「もっと働け」と言っているわけではない。
むしろ、
自分の時間を、安く売り続けていないか。
そう問い直すきっかけになる数字なのだ。
